洋書をたずねて3千字

海外小説の1章目を翻訳して紹介しています。

『稀有な株式:バージョン1.0』Eliot Peper(2015)

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マーラ・ウィンケルはぬかるんだ道に入り、シートから体を離すと、マウンテンバイクはアスペンの間の斜面を急降下した。
サスペンションが砂利や岩に追いつくのに必死で、自転車は上下に揺れた。彼女はハンドルを右に動かして、厄介な根っこを避けようとした。マーラはまたすぐに軌道を修正し、前輪を二フィート幅の道に合わせた。
鮮やかな黄色の葉と白い幹の林を縫い、ロッキー山脈の空気を深く吸い込みながら、彼女は加速した。彼女はこのために生きてきたのだ。アドレナリンが体中を駆け巡り、意識が完全に集中し、高速で自然の美しさを堪能する。これ以上、女の子が望むものはないだろう。
クレイグは「ウォーーー」と声を上げて、彼女の後ろについた。クレイグは速いが、彼女の方が先にスタートしているので、最後までリードを保つことができた。
コースは急なスイッチバックになっていて、マーラは体を左に投げ出し、前輪を右に強く回してターンを乗り切った。体を大きく起こし、次の起伏のある部分では、それぞれの段差の間で空気を受け止めながら走った。サスペンションがリズミカルに音を立て、彼女は大きな泥の水たまりを避けるために、自転車を苔むした道の側面に押し上げた。
マーラが次のスイッチバックを曲がると、道の下側に小さな空き地が現れ、周囲の山々が緑と黄色の斑点で埋め尽くされ、9月の落葉樹の覇権を争っているのがはっきりと見えた。アスペンの白い幹が再び浮かび上がり、道はまた深い木立の中に入っていった。
山の麓には30分ほどで到着した。マーラがトレイルの最後の部分を走り抜けたときには、大腿四頭筋が火照り、ハンドルを握る手に力が入っていた。彼女はカーブを曲がったところで、道の中の斜めになった岩を乗り越えてバイクをジャンプさせた。彼女の前輪はアスペンの露出した根に着地し、滑りやすい表面に沿って右に滑っていった。やばい。
彼女は必死で前輪を左に回そうとしたが、バイクは地面に激突し、その勢いで彼女はハンドルを乗り越えてしまった。くっそー。空中にいた彼女は、一瞬にして胃の中が蝶々の巣窟のようになり、衝撃で歯が砕けないように本能的に歯を食いしばった。呼吸ができなくなるほどの衝撃で地面に打たれ、緑と茶色のぼやけた視界は突然に終わった。頭のモヤモヤを取り除くと、自分が横たわっているのは土の味がする泥の水たまりであることに気づいた。まあ、多少の危険があっこそ楽しいものだ。自分とジェームズの家族との関係以来、彼女はいつもアドレナリンが好きだった。
転がって唾を吐くと、金属の金切り音が聞こえてきて、そして「まじで」と言った。クレイグの肩が彼女の腹にぶつかり、彼が同じ水たまりに着地したとき、彼女は再び呼吸が苦しくなった。しまった、彼が自分のすぐ後ろにいることを忘れていた。星が光り、視界が狭くなり、必死に息を取り戻そうとした。
数秒後、視界は元に戻り、彼女はクレイグに顔を向けた。彼は泥を吐きながら、自分を見る彼女を見上げていた。そして、アドレナリンの冷たい刺激が体内を駆け巡り、2人で笑い合っていた。彼は身を乗り出して彼女の口に激しくキスをした。彼女は汗と泥とグラノーラバーの味がした。彼女は彼にキスを返し、そして遊び心で彼のお腹を殴った。「あなたはマウンテンバイクが得意だったはずよ。」
「君が障害物の一つになるとは思っていなかったからね」彼は眉を上げた。
「ダイナミックなコースデザインよーー乗っている間にコースが変化する。でも、あなたの言う通り、私はあなたが克服する見込みのない障害物かもね。」
「それはどうかな」彼は、右頬骨の傷跡にくぼみを作って笑った。

彼らは山の麓まで自転車を運んだ。幸いなことに、最悪の被害はスポークが曲がったことと、翌日には明らかになるだろういくつかの打撲傷の程度だった。車に着いたとき、マーラはまだ体が震えていた。彼女の筋肉は言うことを聞かない麺のようだった。
自転車をラックに積むとき、彼女はクレイグに目をやった。彼のことをどう思っているのか、まだよくわからない。二人は一般教養の一環として受講していたギリシャ史の授業で出会い、2カ月前から付き合っていた。彼は彼女のタイプではなかった。彼女の好みからすると、少し体育会系過ぎた。その一方で、彼は頭が良く、野心的で、アウトドアが好きで、素晴らしい肩を持っていた。
二人は車に乗り込み、クレイグは高速道路に出た。マーラは床に置いた鞄から携帯電話が鳴ったので、それを取ろうと手を伸ばした。クレイグは困ったように目をやった。「察するに、いつものようにか弱くて愛しい彼?」
「うるさい!私が実際に異性の友達がいて、彼らとのセックスに頼らないからといって、あなたには私を批判する権利はない。」
「さあ...どうでもいいよ」彼は道を振り返り、口を尖らせた。ボルダーへの帰り道は長くなりそうだった。
マーラは携帯電話のメッセージを呼び出した。やはりジェームズからのものだった。そこには「明日の午後3時、The Laughing Goatで」とだけ書かれていた。

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「ダブル・カプチーノ、泡多め?」 ジェームズの髪は長く、まっすぐで、黒かった。肩にかかるくらいの長さだが、それ以外の部分は高校時代から変わらない。「e=mc2」と書かれた長袖Tシャツにジーンズ、茶色の革製ビーチサンダルを履いていた。コロラドの冬でもサンダルを履いている彼の粘り強さに、マーラはいつも驚かされる。彼はコップと受け皿をテーブルの上に置いて彼女に渡した。他のThe Laughing Goatのエスプレッソ同様、泡は日本の石庭を思わせる抽象的な渦巻き状になっている。
「あなたは私のことを知りすぎているわ。飲み物をありがとう」彼女は一口飲んで、スチームミルクの空気のような食感とエスプレッソの鋭い土のような苦味を味わった。
「私はウーロン茶を」 ジェームズの母は80年代に台湾西部から逃げてきた人で、彼は母のお茶好きを受け継いでいた。彼は食器棚いっぱいにエキゾチックな種類のお茶を並べ、水のように飲んでいたのだ。「今学期の調子は?」
「まあ、課題がたくさんある。スワソン教授の政治学のクラスにいるんだけど、これが専用の図書館が必要になるほどの課題図書の量。他の科目は問題ないけど、本当に辛いのは、同時にLSAT(ロースクールの統一入試)の準備をしていること。論理がいかに非論理的になれるか、信じられないよ。」彼女は、LSATの授業が夜の自由時間を奪い始めていることが気に入らなかった。「キャンパスの反対側の生活はどう?あなたの巨大な脳は、コンピュータサイエンスの教授が投げつけようとした授業計画を引き裂いている?」
ジェームズは薄ら笑いを浮かべた。「まさか。」彼はお茶に目を落とし、唇をすぼめた。マーラは彼が何かを一生懸命考えているのがわかった。彼は再び顔を上げた。「君は本当に弁護士になりたいのかい?」
「うん、だって、私の両親は弁護士だし。家族の友人には法律事務所の役員が何人もいて、インターンシップをさせてくれるの。推奨されている前提条件はすべてクリアしている。それに、人と議論することを生業とするのはとてもクールなことだと思う。」
「でも、何というか、毎日のように弁護士になりたいと思うの?」
「うん、まあ、そう思うよ。自然な道じゃない?」「そうだね、君はロー・スクールでも何でも上手くやれると思う。ただ、それはとても、その、細部にこだわることのように思える。あなたはとても外向的で活発でしょう。マイクは今、弁護士をしているけど、誤解しないで、彼は弁護士の仕事が大好きなんだけど。」彼の兄は、サンフランシスコのヘイスティングス・ロー・スクールの3回生だった。「でも、君が徹夜で何千ページもの契約書を読んで楽しんでいる姿を想像するのは、ちょっと難しいんだよね。」
「まあ、君はオタクで内向的だから、プログラミングはぴったりだと思うけどね。」 マーラは彼の態度に違和感を覚えた。彼の態度が気になって仕方がない。「ごめん、あまり深く考えたことがなかったのかもしれない。ジェームズ、どうしたの?変な内容のメッセージは何?君が私の親友だから、クレイグがまた怒ったのよ。」
ジェームズは明らかに嫌な顔をしていた。「俺はあいつが本当に嫌いだ。あいつは、君たち二人が付き合っているからといって、他の男と付き合ってはいけないと思っている。彼はパリピ過ぎて、マジで彼のどこがいいんだ?」
「ねえ、もういい加減にしてよ!二人の男がどうでもいいことで嫉妬し合うのは困る。私が誰と友達になるかを彼が決められないのと同じように、私が誰と付き合うかをあなたに決めることはできない。彼が非常に恵まれていることを教えてあげるわ。」
彼は両手を挙げて降伏を装った。「わかった、わかったよ!ただ、あの男が好きになれないんだ...。」 
「ジェームズ、あなたが会話が下手なのは知ってるけど、なぜ私の進路や恋愛について尋問しているの?何をしに来たの?ただコーヒーを飲みに来ただけなのか、それとも本当に話したいことがあるの?」
ジェームズはお茶を一口飲んでコップを置き、マーラの目を直接見た。
「僕は退学する」と言った。

全く意味が分からない。マーラは、北カリフォルニアのロシアンリバー近くのキャンプ場で、カヌーから落ちたジェームズを助けたときからの出会いだった。ジェームズは、アメンボがどうやって水面を走るのかをするのかを解明するのに夢中で、差し迫っていた木の枝に気づかなかったと弁明した。マーラの11年間の人生の中で、自分よりも頭がいいかもしれないと思える人に出会ったのは初めてだった。それ以来、二人は切っても切れない関係になった。彼女は、テーブルクロスについた血の衝撃的な明るさを覚えている。でも、それは別の話。
ジェームズは、数学の大会に出場し、高校の夏休みにはMITやUCバークレーのオタクキャンプに参加させられた。チェスは大好きだったが、彼が本当に熱中していたのは、古代中国の戦略ボードゲームである囲碁だった。マーラには理解できなかった。彼女はどちらのゲームも好きではなかった。現実の世界のほうがずっと面白いのに、どうしておもちゃで遊ぶの?
ジェームズはまだ社会性を身につけなければならないが、彼は天才だった。少なくとも、マーラがこれまでに会った中では最も天才に近い人物であった。彼が大学を落第するなんてありえない。
マーラはカプチーノの最後の一杯を飲み干し、落ち着きを取り戻そうとした。「何を言っているの、ジェームズ?私はあなたがコンピューターサイエンスの教科を総ナメにしていると思っていた。去年の2月には、ある教授から研究室の助手にならないかと誘われたんだよね。学校を退学する訳がない。」
ジェームズは大きく息を吸った。「パターン認識について何を知っている?」

1時間ほど話し合った後、エスプレッソが体に染み渡り、マーラはトイレ休憩を取らなければならなかった。考え事が頭の中をぐるぐる回っている。彼女はトイレに入ると、深呼吸をして頭の中を整理しようとした。
ジェームズは、1年以上前から新しいプロジェクトに取り組んでいた。始まりは、彼がある数学の上級コースのコースリーダーとして採用された時だったらしい。教授から、70人の学生の最終課題の採点を依頼されたのだ。課題はオンラインで提出されていた。ジェームズは課題を読み始めたが、すぐに1つの課題を丁寧に評価にするのに1時間以上かかることがわかった。マーラは、ジェームズが2週間もかけて課題に目を通すとは思えなかったし、ジェームズ自身もそんなことをしている自分を想像できなかったようだ。その代わりに、彼は一連のアルゴリズムをコンピュータプログラムに組み込み、学生の課題の問題点に自動的にフラグを立てることで、結果的に作業量を大幅に減らすことに成功した。
この方法は非常にうまくいったので、彼は新しい機能を追加していった。マーク・アンドリーセンが90年代初頭に開発した最初の人気ウェブブラウザにちなんで、彼はこのプログラムを「Mosaic(モザイク)」と名づけた。採点が終わる頃には、間違った回答だけでなく、学生の証明の中で論理が破綻している箇所も特定できるようになっていた。この時点で、ジェームズの説明はマーラが理解できる範囲を越えた。
彼は、このプログラムを他の数人のコースリーダーと共有してテストし、その結果は良好だった。Mosaicは非常に正確にミスを見つけ出してくれた。そしてジェームズは、Mosaic機械学習のレイヤーを追加した。それは、プログラムが直面する問題に基づいて、自ら適応し、進化することを意味するらしい。マーラは、それはハリウッドのロボットの世界の話だと思っていたが、ジェームズは、コンピュータープログラムの世界では標準的なことだと言った。Mosaicは、学生の間違った回答だけでなく、その他の不自然な点も指摘するようになった。ジェームズは、コードにバグがあると思い、2週間ほど悩んだ末に、いくつかの課題を再度確認して、盗用だということに気づいた。マーラは笑みを浮かべた。コンピュータを訓練して、不正者を捕まえるなんて、ジェームズらしい。
マーラが手を洗っていると、携帯電話が鳴った。クレイグからのメッセージで、トレイルランニングに行かないかというものだった。魅力的な内容だった。今日は運動をしていなかったし、頭の中が混乱していた。しかし、ジェームズに何が起こっているのかを知る必要があったので、明日の方がいいかもしれないと返信した。携帯電話をポケットに入れると、肘がズキズキと痛み、昨日の自転車事故のことを思い出した。
彼女はコーヒーショップの慌ただしい音と匂いのする中に戻り、テーブルに座った。「わかった、それでどうなるの?あなたのプログラムは数学オタクがお互いの宿題をコピーし合うのを捕まえられるの?」ジェームズはにんまりした。「僕はこれを『定量パターン認識』と呼んでいる。Mosaicはデータセットから、そこにロジックがどのように流れているかを理解することができる。合わないものがあれば、それを見分けることができる。僕のパソコンに入っている無料のゲームソフトとチェスの対戦をさせたところ、10回ほど対戦した後、毎回勝つようになった。次に、僕自身と囲碁の対戦をさせるようにした。最初は、僕が95回連続して勝ったけど、その後から僕に勝てるようになった。」ジェームズは顔を赤くした。
「そう...それがどうしたの?どんなゲームでもコンピュータと対戦することはできるでしょう?」マーラは、彼が100回近く連続して勝ったことの方に感心していた。
「いやいや、違うんだよ。囲碁が悪名高いのは、チェスと違ってコンピュータが人間のそこそこ上手い人にも勝てないからだ。
戦略的なアプローチがあまりにも多すぎる。コンピュータの分析的な人工知能は、人間の脳の柔軟性やパターン認識には敵わない。もう何年もコンピュータに負けたことがないのに、Mosaicが僕に勝っているのはおかしいんだ。」
「分かった、Mosaic囲碁で君に勝てるんだね。でも、この話はどこへ向かっているの?なぜ学校を退学しなければならないの?」と彼女は聞いた。
ジェームズは表情を強張らせた。「僕は会社を始めるつもりだ。そのためには君の助けが必要なんだ。」

 

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原題:Uncommon Stock: Version 1.0
著者:Eliot Peper

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